福岡地方裁判所小倉支部 昭和48年(ワ)992号 判決 1978年12月07日
原告 岩松和好
<ほか一五名>
右訴訟代理人弁護士 阿部明男
右訴訟復代理人弁護士 中山敬三
右訴訟代理人弁護士 多加喜悦男
同 島内正人
被告 門司信用金庫
右代表者代表理事 鵜川勇
右訴訟代理人弁護士 筒井義彦
主文
被告は、原告岩松和好に対し金三、七六七、二七二円、同村田順治に対し金四、三三四、一二九円、同山下玲子に対し金一、七五五、三六八円、同近藤伊都子に対し金一、五八五、六二九円、同広永ツタヱに対し金二、四七一、五九七円、同日野洋子に対し金一、二一七、二五六円、同今城悦子に対し金九六、二八五円、同森下満里子に対し金一四五、六八四円、同野村順子に対し金一二五、八三七円、同直江美恵子に対し金二〇四、〇二七円、同福井幸枝に対し金二一、五二五円、同西村鶴子に対し金一、六九四円、同横井和江に対し金七六、一〇三円、同久保樛子に対し金一四四、六〇八円、同福田裕子に対し金三八、〇四九円、同松坂紀美子に対し金六五一円をそれぞれ支払え。
原告村田順治、同山下玲子、同近藤伊都子、同広永ツタヱ、同日野洋子のその余の請求はいずれも棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告岩松和好に対し金三、七六七、二七二円、同村田順治に対し金四、三三四、一二九円、同山下玲子に対し金一、八三〇、三八五円、同近藤伊都子に対し金一、六四九、五一五円、同広永ツタヱに対し金二、五三三、〇三九円、同日野洋子に対し金一、二八八、二一二円、同今城悦子に対し金九六、二八五円、同森下満里子に対し金一四五、六八四円、同野村順子に対し金一二五、八三七円、同直江美恵子に対し金二〇四、〇二七円、同福井幸枝に対し金二一、五二五円、同西村鶴子に対し金一、六九四円、同横井和江に対し金七六、一〇三円、同久保樛子に対し金一四四、六〇八円、同福田裕子に対し金三八、〇四九円、同松坂紀美子に対し金六五一円をそれぞれ支払え。
2 原告村田順治が被告の監督職の地位にあることを確認する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 第1項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
3 被告敗訴部分につき仮執行免脱宣言。
第二当事者の主張
(原告らの請求原因)
一 当事者等
原告らは、別表(一八)記載のとおり、被告の従業員として勤務し、門司信用金庫労働組合(以下「労組」という。)に加入していたものであり、被告には労組と対立している従業員組合(以下「従組」という。)がある。
二 支給賃金等
1 賃金
原告岩松、同村田、同山下、同近藤、同広永、同日野の昭和四一年四月以降支給された賃金の月額は別表(一)ないし(六)の各(2)記載のとおりであり、その支払日は毎月二〇日である。
2 臨給
原告岩松、同村田、同山下、同近藤、同広永、同日野の昭和四〇年夏期賞与以降支給された臨給は別表(一)ないし(六)の各(4)記載の「受けた額」欄記載のとおりであり、その各支払日は、右各表の「支給日」欄記載のとおりである。
三 差別的取扱い
被告は、右賃金、臨給の支払いにおいて、労組員である右原告らの賃金の昇給額、臨給額の決定にあたり、労組員以外の従業員と比較して次のとおり不当に低額に決定しており、右原告らを不利益に取扱ったものである。
1 賃金について昭和四二年度の従組員の最高昇給号数は五号、平均が三号であるのに対し、労組員の最高昇給号数は二号、平均一号で、昇給〇が労組員二二名中一〇名もある。同四三年度の従組員の最高昇給号数が五号、平均三号であるのに対し、労組員の最高が四号、平均二号である。以下昭和四八年度に至るまで、従組員と労組員の昇給号数は昭和四五年度に最高四号と両者が等しかったことがあるのみで(もっとも同年度においても、従組員の最高四号昇給が八六名中五七名であるのに対し、労組員は一五名中僅かに一名に過ぎない。)、最高昇給号数においても従組員に比して一号ないし二号は低く査定されている。
2 臨給について
昭和四〇年度冬期臨給において、従組員は標準以上八六名、同以下五名であるのに対し、労組員は標準以上一三名、同以下一九名と低く査定されているのを始めとして、昭和四九年度夏期臨給におけるまで労組員は従組員に比し、最高ランクの者で三ランクないし一ランク、平均ランクの者で三ランクないし一ランク低く査定されている。
四 被告の責任
1 債務不履行
使用者は、労働契約上労働力そのものとしての差異による理由以外で労働者を不当に差別してはならない債務を負っており、不当に差別した場合は、債務不履行として、その差別なかりせば得べかりし利益の損害を賠償すべき責任がある。しかるに被告は、前記のとおり賃金、臨給の支給にあたり、右原告らを不当に差別したものであるから、右債務不履行により、原告らが右差別的取扱いがなければ得ることのできたであろう後記損害の賠償義務がある。
2 不法行為
被告の右原告らに対する差別的取扱いは、標準以上の労働者である原告らの標準的取扱いを受けるという期待権を侵害し、又右原告らが労組員であることを嫌悪して、労組弾圧政策の一環としてなされたもので、憲法一四条、労組法七条、民法九〇条に違反する違法行為であるから、被告は民法七〇九条により原告らに対し、差別的取扱いにより生じた後記損害を賠償する責任がある。
《以下事実省略》
理由
一 当事者
請求原因一の事実は当事者間に争いがない。
二 現に支給された賃金、臨給
1 賃金
請求原因二、1の事実は当事者間に争いがない。
2 臨給
同二、2の事実については左記認定事実を除いては当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、臨給の支給日は、昭和四〇年度夏期が同年一二月一〇日、昭和四二年度期末が昭和四三年四月一一日であり、臨給支給額は原告岩松の昭和四五年度夏期が金一三五、二〇四円、同村田の昭和四一年度期末が金二八、七八一円、同広永の昭和四四年度冬が金六〇、四六四円、昭和四七年度期末が金一四八、六五一円であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
三 賃金等の格差
1 賃金
《証拠省略》によれば、次のとおり認めることができる。
(一) 昭和四二年度以降の昇給号数を労組、従組の組合別に比較してみると、昭和四二年度の従組員の最高が五号、平均が三号であるのに対して、労組員の最高は二号、平均が一号、昇給号数〇が従組員は八九名中三人であるのに対し、労組員は二二名中一〇名である。昭和四三年度は従組員の最高が五号、平均三号であるのに対し労組員の最高が四号、平均二号で、昇給号数〇が従組員は九一名中四人、労組員は一九名中五人である。昭和四四ないし同四八年度においても労組員の平均昇給号数は従組員のそれに比較すると常に一ないし二号低く査定されている。
(二) 原告岩松(昭和二五年一一月三〇日入庫)は、従組員である工藤康雄(昭和二六年九月一一日入庫)と比較して、昭和四二年度以降昭和五〇年度までの間は、昭和四七年度を除き毎年一号ないし二号昇給号数が低く、基本給(月額)は、昭和四一年度のは、原告岩松が金三九、七〇〇円、工藤が金三八、九〇〇円であったのに対し、昭和五〇年度では原告岩松は金七〇、六〇〇円、工藤は金八〇、六〇〇円であり、原告岩松の基本給は約一〇年の間に工藤に比較して金一〇、八〇〇円低くなっている。
(三) 原告村田(昭和二八年九月七日入庫)は、従組員である岡田千彬(前同日入庫)、立川健治、寺下孝(いずれも昭和二八年二月二〇日入庫)に比較すると、昭和四二年度から昭和四八年度までの間毎年昇給号数が三号ないし一号低く査定されており、基本給(月額)は、昭和四一年度は、原告村田、立川、寺下が各金二九、四〇〇円、岡田が金二九、八〇〇円であったのに対し、昭和五〇年度では、原告村田が金五六、〇五〇円、岡田が金六七、三〇〇円、寺下が金六六、七五〇円、立川が金六六、二〇〇円であり、原告村田の基本給は他の三人と比較して、約一〇年の間に金一〇、〇〇〇円程度低くなっている。
(四) 原告山下、同近藤、同広永、同日野は、昭和四一年度より昭和四九年度の間、順次ほぼ同期入庫の従組員の永野妙子、大櫛清子、豊田千早子、同土井敬子と比較して、各年度の昇給号数において一ないし四号低く査定されている。
2 賞与
《証拠省略》によれば、次のとおり認めることができる。
(一) 昭和四三年度期末以降昭和四九年度夏期までの各臨給における労組員、従組員の査定ランクを比較すると、労組員の平均的ランクは、従組員の平均的ランクよりも、いずれも一ないし二ランクずつ低く査定されている。
(二) 原告岩松の昭和四〇年度夏以降同五〇年度夏までの各臨給の査定結果を工藤康雄と比較すると、昭和四八年度夏が同等であるものの、その他ではすべて低く査定され、査定ランクでは三ないし一ランク低い。又昭和四一年度の臨給合計は原告岩松が金二六六、八六九円、工藤が金二五四、六〇六円であったものが、昭和四八年度のそれは、原告岩松が金九二三、〇一〇円、工藤が金一、〇〇七、三五二円と、逆に工藤の方が高くなっている。
(三) 原告村田も、昭和四〇年夏期以降同四八年期末までは、各臨給とも立川健治、岡田千彬、寺下孝と比較して、低く査定されており、原告山下、同近藤、同広永、同日野らも、右臨給において、永野妙子、大櫛清子、豊田千早子、土井敬子らに比していずれも低く査定されている。
3 前記1、2掲記の各証拠によれば、後記の人事考課が採用される以前の被告の従業員の賃金、昇給、臨給は、概ね年功序列によって決められており、一般的にみて、勤務年数の同等のものは賃金、臨給の支給においても特段の格差はなかったことが認められる。
四 被告の不法行為
ところで、以上の如き原告らに対する各賃金、臨給の支給が原告らの主張するような被告の不当差別によるものであるならば、原告らは適正な評価を受けた場合に支給されたであろう賃金、臨給の請求権を不当に侵害されたことになるので、右と現に支給を受けた額との差額を不法行為による損害賠償として被告に請求できるものと解するのが相当であるところ、被告は、原告らの賃金、臨給が低いのは人事考課により適正に評価した結果である旨主張するので、この点について判断する。
1 人事考課制度について
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 昭和四二年一月一日施行の給与規程には昇給は毎年一回四月に行ない、昇給の査定は従業員の勤務成績、能力を考課して行うこと、従業員の勤務成績及び能力が著しく劣ると認められたときは昇給を行わないこと、賞与の支給額は、金庫の業績並びに各人の勤務成績を考課により査定して定めると規定されており、定期昇給の査定は、昭和四〇年、四一年度は基礎点数を七五点とし、これに出欠、賞罰点を加減して、その合計点のランクにより〇ないし四号の昇給号数が決定された。臨給の査定に人事考課を採用したのは昭和四〇年からであるが、昭和四〇、四一年度は一率配分点五〇点、出欠、賞罰点三〇点、成績考課二〇点の配分で、昭和四二年度は、右配分はそれぞれ三〇点、二〇点、五〇点とされ、成績考課の比重が増し、昭和四三年度冬以降は成績考課を一〇〇点満点とし、これをパーセントに読み換え、更に賞罰点を加減し出勤率を乗算して決定し、同年度期末からは、成績考課点に出欠、賞罰点を加減した点数のランクにより定められた六〇ないし八五~一一五ないし一三五パーセントの乗率に出勤率を乗じて計算する方式をとった。
(二) 昭和四三年八月一日より実施された人事考課規程には、考課の種類は成績考課、能力考課、適正調査があり、昇給の査定は成績考課、能力考課の結果により、賞与の査定は成績考課の結果により行うことが規定され、被考課者が店長代理調査役の場合の第一次評定者は所属店課所長、調整者は総務部長、決定者は常勤理事合議、被考課者が一般従業員の場合はその第一次評定者は所属店長代理及び調査役、第二次評定者は所属店課長、調整者は人事課長、決定者は常勤理事合議と規定されている。
ところで原告らを考課する第一次評定者は、すべて労組と対立関係にある従組の出身者によって占められている。
(三) 右人事考課規程によれば、一般職の成績考課の評価要素及びそのウェイトは、仕事の正確性4、仕事の速さ4、応待3、勤務(積極、執務態度、協調)7、受命・教導2となっており、一般職の能力考課の要素とそのウェイトは知識・技能5、業務処理能力一〇、性格態度五となっている。
これらの評価要素のうち、勤務(積極、執務態度、協調)や性格態度の項目は評定者の主観的判断に依存せざるを得ない性質のものであり、評定者の価値観等に左右されやすいものである。
2 労使間の対立
人事考課制度が導入され、それによる査定がなされるようになった時期の前後における労使間の対立関係のうち、昭和三七年から昭和四〇年頃までの状況は、原告らの主張五1、2のとおりであることは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、その後被告は昭和四〇年一二月頃から労組員を出納係に集中的に配置するようになり、昭和四一年九月労組の河野次郎青婦人部長を解雇し、丸山修副委員長の降格処分をし、昭和四二年四月に宇津井裕執行委員を解雇したため、労組は、これらの処分の撤回を求めて斗争を続けたところ、昭和四二年五月、先に解雇された労組員日野、木村の地位保全仮処分の第一審判決が、同年一〇月右宇津井、河野の地位保全仮処分決定が出され、右日野、木村の地位保全仮処分の判決は昭和四三年三月第二審で同年一一月には上告審で維持された。昭和四五年六月労組の氏家、小橋正副委員長の地位保全仮処分判決が出、昭和四七年一〇月には労組員を出納係に集中配置することは不当労働行為と判断した中央労働委員会の命令が出され、昭和四九年二月氏家委員長、小橋副委員長、日野書記長、木村執行委員、宇津井執行委員の解雇撤回と職場復帰の協定が、被告、労組間で成立した。又、労組は人事考課が採用されて以後、その運用等について被告に対し団体交渉を求めたが、被告はこれに応ぜず地方労働委員会の斡旋により団体交渉を開いても、査定結果を形式的に公表するのみで、その査定経過、内容等については全く回答していない。
3 以上の認定のとおり、労組が結成される以前或いは人事考課制度が採用される以前においては、労組員も同期入庫者と同等に昇給、昇進し、賃金、臨給もほぼ同額に扱われるのが一般的であったが、労組が結成され、臨給、昇給に人事考課が導入されてからは、臨給や昇給において、労組員は従組員に比較して、必ず低く査定されるようになったこと、人事考課が導入された昭和四〇年から同四二年頃にかけては、被告の労組員に対する解雇、懲戒処分が続発した時代で、その後昭和四九年に右解雇者の職場復帰が認められるまでは、労組は被告に対し前記各懲戒処分の撤回を求め、裁判斗争を行っていた時期であり労使間の対立が激化していたこと、人事考課における労組員の第一次評定者は労組から分裂しことごとく対立していた従組の出身者で占められていたこと、その査定項目の中には、勤務(積極、執務態度、協調)や性格態度という項目があるが、これらの項目については評定者の主観的、恣意的判断に頼らざるを得ず、労組員であることをもって低く査定される可能性が強いこと、昭和四〇、四一年度の定期昇給には基礎点数が七五点あったが、昭和四二年度からは基礎点数がなくなり、殆んどすべて人事考課のみにより昇給が決められるようになり臨給においても昭和四〇ないし四二年度は一率配分点が五〇点或いは三〇点あったが、昭和四三年度からは右配分点がなくなり人事考課によりほぼ全額臨給額が決められるようになり、昇給、臨給における人事考課は絶対的な影響をもつようになったこと、被告は労組からの人事考課の運用についての団体交渉に応じず、応じたとしても査定結果を公表するにとどまり、労組員と従組員とが対等の方法で評価されていることを肯認し得る資料は公表していないこと等の事情があり、これらの事情を総合すれば、他に特段の事情のない限り、被告は労組員を従組員と比較して、何ら正当な理由がなく差別して、昇給及び臨給査定において不利益に取扱っているものと推認するのが相当である。そこで右特段の事情の有無について判断する。
(一) 懲戒処分による減点措置について
(1) 名札着用拒否
被告は、就業規則四〇条により、昭和三九年一〇月七日に全従業員に対し、名札の着用を示達したが、原告らは名札の着用を拒否しその後右方針を変更しなかったため、被告は昭和四二年二月四日改定後の就業規則九条三号、八〇条一五号により、原告岩松を金七五〇円、同村田を金五五〇円、同山下を金五〇〇円、同近藤、同広永を各金四〇〇円、同日野を金三五〇円の各減給の懲戒処分に付したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、労組は右示達のあと、名札着用が労働条件の変更にあたるとして、その目的や外出の際の着用の必要性等について、団交の申し入れをしたが被告がかたくなにこれを拒否したため、労組は右団体交渉を求めて名札着用拒否を争議行為として指令し、原告らはこれに基づいて着用を拒否したこと、名札を着用する意義は、店頭の客に対して責任の所在を明らかにすること等にあったこと、被告は昭和四二年度の昇給の査定において右懲戒処分の存在を理由として各原告らの査定ランクを二ランク低くしていることが認められる。
以上の事実によれば、被告が労組の団体交渉を拒否したことは不当であるが、名札着用の示達には一応合理的な理由があったのであるから被告が原告らの名札着用拒否を理由に前記減給処分をしたことは、その程度に照らし、特に不当であったとまではいえない。しかしながら、右処分を理由に昇給査定において二ランクもの減点措置をすることは、右名札着用拒否に至るまでの前記双方の事情をも参酌すれば、酷に過ぎると考えられる。
(2) 原告広永の現金保管事故
同原告が出納現金二〇、〇〇〇円の保管事故を起したため、昭和四一年二月一日改定前の就業規則六条二号、七号、六九条により譴責処分にされ、更に同原告が右譴責処分辞令の受領と始末書提出命令を拒否したため、同月一四日同規則七条四号、一四号(四条)、七一条により減給金四〇〇円の懲戒処分にされたことは当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、昭和四〇年一二月七日当時被告本店に勤務していた原告広永及び従組員占部敬子は閉店後五円硬貨四、〇〇〇枚入りの袋を出納室に置き忘れ、納庫しないまま帰宅したため、管理人が見つけ庶務課長に届出た。翌一二月八日朝被告はこの事故について検査を行い、両名に対し就業規則に違反する行為があったものとして始末書を提出するよう指示した。これに対し占部は翌九日始末書を提出したが、原告広永は「今後現金を納庫し忘れる事のない様充分気をつけたいと考えます。」との顛末書を提出し、始末書については労組の指示により提出を拒否したこと、右硬貨入りの袋は相当重いため、通常は他の係の男性に格納を手伝ってもらっていたことが認められる。
ところで閉店後現金を格納することは出納係にとって最も重要な仕事の一つであり、格納懈怠は通常の注意を払えば容易に避けることができる筈のものであるから、被告が右懈怠を理由に原告広永と占部に対し譴責処分をしたことは不当とはいえない。更に、右譴責処分辞令の受領拒否、始末書提出命令の拒否をした原告広永に対し前記金四〇〇円の減給処分をしたことも、その程度に照らし特に不当であったとはいえないし、これを理由に多少の減点措置をすることも許されるといわなければならない。
(3) 出納金不足事故
被告の主張する原告近藤、同広永の出納金不足事故に対する懲戒処分は後記のとおり一部無効であり、無効な懲戒処分を理由とする減点措置は許されないが、有効な懲戒処分に基づく多少の減点は許されるといわなければならない。
(4) 産休、育児時間の減点措置
被告は別表(七)の原告らの産休等を理由として、臨給や昇給の査定において減点措置をしているが、これは不当であり無効であることは当事者間に争いがない。
(5) その他の減点措置
(イ) 《証拠省略》によれば、昭和四一年度の昇給の人事考課では、原告岩松が二日、同村田が五日、同近藤が九日、同日野が九日、同広永が一八日の各欠勤があるとされ、いずれも減点されているが、右原告ら各本人尋問の結果によれば、これは労組の行ったストライキ、時限ストによるものであり、右時限ストは一時間の時限スト四回で一日の欠勤扱いとされていたことが認められ、労組の権利行使であるストライキを理由とする減点措置は許されない。
(ロ) 《証拠省略》によれば、原告広永が被告大里支店の定期積金、日掛預金係を担当していた昭和四四年七月二三日、北九州財務局の金融検査において、定期積金元帳残高と同日計表残高に誤差があることが発見されこの誤差発見のため大里支店職員に多大の迷惑を及ぼし且つ金庫に類を及ぼしたとして、改定後の就業規則八〇条一三号、一五号(七八条)により出勤停止一日に処せられたことが認められるので、これを理由に多少の減点措置をすることは許されるといわなければならない。
(二) その他の低査定の理由について
《証拠省略》によれば前記(一)の懲戒処分による減点措置のなされる前の原告らに対する査定ランクは、すでに従組員らと比較して低く査定されていることが認められるので、原告らが右の如く低位に査定されていることについて理由があるか否かについて判断する。
被告の原告らに対する考課が正当であるとされるためには各年度の考課の結果のみならず、考課項目毎の点数が従組員と同一の基準で公平に評価されていることの立証が必要であるところ被告は、原告らが被告の諸施策、諸行事について反対の態度をとり幹部をひぼうする情宣活動をしているので、人事考課において、労組員が従組員に比較して低く評価されるのは当然である旨の一般的主張をするにとどまり、各原告らが各年度において低く査定された具体的事実の主張はしていないが、本件証拠上被告が原告らを低く査定した理由と思われるものがあるので、この点の当否について検討する。
(1) 被告の原告らに対する評価
(イ) 原告岩松
《証拠省略》によれば原告岩松は、昭和二五年の入庫以来本店の経理、昭和二七年三月から原町支店の普通預金、昭和三〇年四月小森江支店、同年一一月支店長代理に昇進し、昭和三五年一〇月本部の経理係長、昭和三九年本部の管理係長、昭和四二年二月葛葉支店長代理、昭和四三年五月渉外付の調査役、次いで藤松支店の渉外担当の調査役をして現在に至るものであるが、勤務態度はまじめで仕事面でも、子供銀行や伝票の発案等で研究熱心であったことが認められる。ところで《証拠省略》によれば、坂本は、渉外担当の調査役をしていた葛葉支店当時の原告岩松について、集金のような簡単な仕事しかせず、新規預金開拓とかの監督職としてふさわしい仕事はしていなかったと評価していることが認められる。
しかしながら、《証拠省略》によれば、原告岩松が外回りの仕事が多かったのは、従来三人で担当していた仕事を一人半でするようになり、従来からの地元の顧客を維持していくためであったこと、昭和四六年七月三一日の原告岩松の日掛集金先の取引状況調の一七件の取引先のうち上司から改善を要するとされたものは三件にすぎないことが認められるので、右坂本の評価事実も勤務成績に影響を及ぼすようなものではない。
(ロ) 原告村田
《証拠省略》によれば、原告村田は、昭和二八年入庫以来本店の貸付係、昭和三〇年四月葛葉支店の貸付係、当座預金係、昭和三三年九月四日より大里支店のテラー、得意先係昭和三七年四月より本店の得意先、テラー係、昭和四〇年三月より小森江支店の出納係、昭和四一年九月二四日原町支店出納係、昭和四六年六月より桜町支店の当座預金係、出納係をしてきたものであるが、出納係としての仕事は非常に正確で几帳面であったことが認められる。ところで《証拠省略》によれば、坂本が本店長のとき原告村田が部下にいたが、坂本の原告村田に対する評価は、上、下に対する態度は悪くなく、与えられた仕事はやっていくが、積極性に欠け無口なタイプであるというのであり、ことさら低査定の理由として取り上げるほどのものではないと考えられる。
(ハ) 原告山下
《証拠省略》によれば、原告山下は昭和二三年三月入庫以来経理課、昭和二四年五月大里支店普通預金等昭和三二年八月経理課、昭和三四年一〇月桜町支店の積金、昭和三六年三月大里支店普通預金、昭和三九年六月桜町支店の当座預金、昭和四二年七月小森江支店の当座預金等、昭和四六年六月本店の当座預金係をしてきたものであるが、仕事は正確で敏速であること、上司の評価は、「協調性がない。二〇年選手には二〇年選手の期待がある。無愛想である。」等となっていることが認められる。しかし、前認定の如き労使関係に照らすと、右の評価は労組員一般に対する偏見に基づく疑いが濃く、これをそのまま信用することはできない。
(ニ) 原告近藤
《証拠省略》によれば、原告近藤は昭和二九年三月入庫以来原町支店の出納係等、昭和三三年三月から大里支店で出納係等、昭和三七年四月から原町支店の定期預金係、昭和四〇年四月から本店のテラー係等、昭和四六年六月から小森江支店で当座預金係等、昭和四九年から大里支店で当座預金係等をしているが、標準的な従業員であること、上司の評価は、「協調性に欠ける。二〇年選手には二〇年選手の期待がある。」となっていることが認められる。しかし、前記原告山下の場合と同様、右の評価をそのまま信用することはできない。
(ホ) 原告広永
《証拠省略》によれば、原告広永は、昭和三〇年一二月の入庫以来葛葉支店の出納係等、昭和三二年二月本店の経理課、昭和三四年大里支店の定期据え置き係、昭和三九年から本店の出納テラー係、昭和四四年四月大里支店の出納、テラー係、昭和四八年四月原町支店の当座係等をしてきたものであるが、仕事面では標準的な従業員であること、上司の評価も、「協調性がない。二〇年選手には二〇年選手の期待がある。昔は積極性がなく表情も暗かったが、今は当時に比べて積極的になったし店頭応対もよくやっている。」となっていることが認められ、特に低く査定される理由はみあたらない。
(ヘ) 原告日野
《証拠省略》によれば、原告日野は昭和三三年三月入庫以来総務課、昭和三九年六月大里支店でテラー、出納係、昭和四四年四月原町支店でテラー係等、昭和四八年六月大里支店定期積金係等、昭和四九年一一月小森江支店で受付係等をしてきたものであり、その勤務ぶりは良いが、査定ランクの低いことにつき上司は「協調性がない。一五年選手としてのプラスアルファがほしい。」等の理由を述べていることが認められる。しかし、前記原告山下の場合と同様、右低査定の理由をそのまま信用することはできない。
(2) 預金増強運動
《証拠省略》によれば、被告は、昭和四六年六月一五日より同年九月三〇日まで一〇〇億達成金員勧誘運動、昭和四八年四月一日より同年九月三〇日まで創立五〇周年預金増強運動を行い、これらの成績表で原告らの成績の良くないことを査定の低い理由としていると思われるが、大蔵省の通達ではかかる預金増強運動は禁止されており、しかも右成績表は従組員に対しては幹部から預金者が譲られたり、店頭扱いとすべきものが成績にとりいれられたりしており、公正なものではなく、かかる成績表を考課の査定の対象とすれば、勤務時間外の勤務についてまで成績に影響を与えるおそれがあることが認められるので、右の如き預金増強運動の成績を考課の対象とすることは到底許されるものではない。
(三) 以上説示したところによれば、原告らの側にも被告の査定上多少不利益に取扱われても仕方のない事由があることは否定できないけれども、これらの事由はいずれも軽微なものと考えられるから、これをもって前記三、1、2認定の如く労組員と従組員の間に一般的且つ大幅な昇給及び臨給格差をつける理由とするにはきわめて不十分であり、他に右の如き格差をつけるのを相当とする特段の事情は認められないので、被告は労組員である原告らの組合活動を嫌悪し、専らこれに対する報復措置として、右昇給及び臨給について従組員に比較し不当に不利益な取扱いをしてきたものと推認すべきである。
そうすると、被告は故意又は過失により、原告岩松、同村田、同山下、同近藤、同広永、同日野に対し、合理的な理由もなく不当に差別して人事考課をすることにより、適切な人事考課がなされたならば支給されたであろう賃金及び臨給と現実に支給されたそれとの差額相当額の損害を与えたものであるから、右損害賠償責任を免れない。
4 損害
《証拠省略》及び前記認定事実によれば、被告の原告らに対する前記の如き不当な差別がなければ、概ね、原告岩松は従組の工藤康雄、原告村田は従組の岡田千彬、寺下孝、立川健治の平均、原告山下、同近藤、同広永、同日野は従組の永野妙子、大櫛清子、豊田千早子、土井敬子の平均とそれぞれ同一の各昇給及び臨給支給を受けていたものと認めるのが相当であり(従って、臨給支給額についての原告らの第一次的主張は採用しない)、原告らの賃金差額相当の損害金及びこれに対する民法所定年五分の割合による遅延損害金は、原告岩松が別表(一)、(九)のとおり金一、七五八、三〇〇円及び金二八九、九七八円、同村田が別表(二)、(一〇)のとおり金二、一二八、五〇〇円及び金二九四、三八四円、同山下が別表(三)、(一一)のとおり金五三一、〇〇〇円及び金一〇三、二三三円、同近藤が別表(四)、(一一)のとおり金五六一、六〇〇円及び金一二七、四三五円、同広永が別表(五)、(一一)のとおり金八六六、四〇〇円及び金一八六、〇二一円、同日野が別表(六)、(一一)のとおり金四一一、〇〇〇円及び金八四、六五一円となる。また、原告らの昭和四〇年夏から昭和五〇年夏までの臨給差額相当の損害金及びこれに対する前同割合による遅延損害金(括弧内は原告らの請求額)は、原告岩松が別表(一二)(1)、(2)のとおり金一、六一九、三八二円(金一、四六五、九一二円)及び金三〇五、二〇六円(金二五三、〇八二円)、同村田が別表(一三)(1)、(2)のとおり金一、六七三、三八六円(金一、六四六、三七〇円)及び金二七二、六五三円(金二六四、八七五円)、同山下が別表(一四)(1)、(2)のとおり金七三一、五八一円(金七八三、九一五円)及び金一六四、二四四円(一八六、九二七円)、同近藤が別表(一五)(1)、(2)のとおり金六七八、八一三円(七三〇、一三二円)及び金一九九、〇一三円(金二一〇、二三八円)、同広永が別表(一六)(1)、(2)のとおり金九八七、九七一円(金一、〇三〇、七七四円)及び金二六六、一一五円(金二八四、七五四円)、同日野が別表(一七)(1)、(2)のとおり金五〇六、一二七円(金五五二、五六七円)及び金一二九、四八七円(金一五四、〇〇三円)となる。
五 産休、育児時間の賃金カット
被告と労組との間で昭和三七年五月一八日締結された労働協約では、女子従業員の産前、産後の休暇を有給とする旨定められていたこと、被告は昭和四二年一月一日施行の就業規則で出産休暇については時間割計算で賃金を控除する旨を定め、これにより別表(七)の(1)ないし(13)の各原告に対し同表記載のとおり(但し原告久保に対する賃金カット年月日中昭和四三年二月二〇日とあるのが同年三月二〇日の誤りかどうかについては争いがある)産休、育児時間について賃金カットをしたが、右就業規則のうち、産休の賃金カットの部分は不当であり、原告らに対する賃金カットは無効であることは当事者間に争いがない。
従って、別表(七)の各原告は被告に対し同表合計欄記載の賃金請求権を有する。
六 出納金不足事故による懲戒処分
1 争いのない事実
(一) 原告近藤
(1) 昭和四〇年一二月二〇日金一〇、〇〇〇円の出納金不足事故を起したため、昭和四一年二月一日、改定前の就業規則七条一四号(五条)、七一条により減給金四〇〇円に処せられ、更に右処分辞令の受領及び始末書の提出命令を拒否したため、同月一四日同規則七条四号、一四号(四条)、七一条により出勤停止一日の処分に付された。
(2) 昭和四一年六月金五〇、〇〇〇円の出納金不足事故を起しこれに対する始末書の提出命令を拒否したため、同年七月一四日同規則六条二号、七条四号、一四号(四条)、六九条、七一条により出勤停止二日の処分に付された。
(二) 原告松坂
昭和四一年二月四日金五、〇〇〇円の出納金不足事故を起しこれに対する始末書提出命令を拒否したため、同年五月二八日同規則六条二号、七条四号、一四号(四条)、六九条、七一条により出勤停止一日の処分に付された。
(三) 原告西村
昭和四一年四月二〇日金一八、〇〇〇円、同月三〇日金二〇、〇〇〇円の各出納金不足事故を起しこれに対する始末書提出命令を拒否したため、同年七月一四日同規則六条二号、七条四号、一四号(四条)六九条、七一条により出勤停止一日の処分に付された。
(四) 原告横井
昭和四三年一月金一、一五五円の出納金不足事故を起しこれを弁償しなかったため、同月一三日改定後の就業規則八〇条一三号、一五号により出勤停止一日の処分に付された。
(五) 原告広永
昭和四四年二月金五、〇〇〇円の出納金不足事故を起しこれを弁償しなかったため、同月一八日同規則八〇条一三号、一五号により出勤停止一日の処分に付された。
2 右1の各処分のうち、(一)ないし(三)は改定前の就業規則が、(四)、(五)は改定後の就業規則がそれぞれ施行中の事故であるので、両者を別箇に判断する。
(一) 原告近藤、同松坂、同西村の場合
(1) 《証拠省略》によれば、昭和三八年七月一日改正施行の出納事務取扱細則一二条には、「不足金は当該店舗長の意見書及び検査室長の調書により、故意又は重大な過失でないと代表理事が認めたるときは、金庫負担として雑損勘定にて処理する。」と定められているが、これは出納金不足事故による損害を、金庫と従業員のいずれが負担するかについて定めたものであり特に懲戒処分について言及しているものではないこと、しかしながら出納係の出納違算金事故は長期的にみればこれを皆無にすることはできず、常に発生する蓋然性があり、これらの事故は係員の単純なミスによるものが多いこと、出納金不足事故を理由として懲戒処分のなされたことは全国の金融機関においても極く僅かであることが認められる。被告の出納係としては現金の正確な取扱いが重要な注意義務とされることは明らかであるが、右認定事実によれば、出納係には出納違算金事故発生の蓋然性が高く、これらの事故を全て懲戒の対象とすることは他の係を担当する従業員と比較して不当に不利益を課することになり不合理であるので許されず、出納係の出納違算金事故に対する懲戒処分はできるだけ制限的に運用するのが妥当であり、右事故を理由とする懲戒処分は、当該係員に明白な過失が認められその責任の所在が明らかな場合において、不足金額及び当該従業員の通常の勤務態度その他諸般の事情を斟酌して懲戒処分もやむなしとされる場合に限られるものと解するのが相当である。
(2) 原告近藤
ア、昭和四〇年一二月二〇日の事故
《証拠省略》によれば、当時被告本店の出納係をしていた原告近藤、従組員占部敬子は、昭和四〇年一二月二〇日の現金残高に金一〇、〇〇〇円の不足金が生じたため調査を行ったところ、原告近藤が取扱った顧客の普通預金支払請求書の払戻請求金額欄には請求金額五〇、〇〇〇円と記入されながら、金種類欄の記入を誤ったために金六〇、〇〇〇円を支払っていたことがわかり、翌二一日に両名は連名でその旨の顛末書を出した。昭和四一年一月七日、被告はこの事故について検査を行い、原告近藤に対し就業規則に違反する行為があったものとして、同月八日までに始末書を提出するよう指示した。これに対し、原告近藤は労組の指示により始末書の提出を拒否した。同年二月一日、被告は「現金取扱いが常に正確に且つ慎重に行われるべきであることを忘れ軽卒にも預金者の書いた普通預金請求書に自ら加筆し、それが誤記されているにもかかわらず自らも誤算し、不注意に現金の支払いをなし金庫に損害を与えた。」とし、就業規則違反を理由に、同人を金四〇〇円の減給処分にした。これに対し原告近藤は、処分は不当であるとして処分辞令の受領を拒否した。そこで被告は、原告近藤が始末書の提出を拒否し、所属長の指示命令に違反したとして、同年二月一四日更に出勤停止一日の処分を行ったことが認められる。
そこで右処分の当否について判断するに、右出納金不足事故の原因が原告近藤の不注意にあることは明らかであり、不足金額及び減給処分額に照らすと、右不足金事故を理由とする減給処分も不当無効とはいえず、始末書提出命令拒否・処分辞令受領拒否を理由とする出勤停止処分も有効と解すべきである。
イ、昭和四一年六月の事故
《証拠省略》によれば、昭和四一年六月一日、原告近藤が宇津井裕と共に本店出納係として勤務中現金五〇、〇〇〇円の不足金を生じ、被告の検査でも事故原因が判明しなかったが、被告は原告近藤らの出納業務による注意の散漫と認定して、始末書の提出を要求した。しかし原告近藤がこれを拒否したため、同年七月一四日、「就業規則六条二号に違反し、七条一四号(五条)に該当する行為があり、更に七条一四号(第四条)、四号に該当する行為をなしたので同規則六九条一号、七一条一号により出勤停止二日に処す。」との処分をしたことが認められる。
しかしながら右認定のとおり、右不足金事故は原告近藤の過失に基づいて生じたことが明らかでなく、単にその時出納係をしていたという理由のみで自己の非を認める趣旨を有する始末書の提出を求めることは許されないので右現金不足事故及び始末書の提出拒否を理由とする右懲戒処分は無効である。
(3) 原告松坂
《証拠省略》によれば、昭和四一年二月四日原告松坂が原町支店の出納係に勤務中金五、〇〇〇円の現金不足が発生し被告が調査したが右事故と直接結びつく出納取扱い上の不備事項は認められなかったが、被告は「出納係として最も留意すべき正確性保持の取扱いに欠けるところに起因するものである。」と判定し、原告松坂に対し始末書の提出を命令した。しかし同人がこれを拒否したため、昭和四一年五月二八日、「就業規則六条二号に違反し、七条四号、一四号(四条)に該当する行為があったので、同規則六九条一号、七一条一号により出勤停止一日に処す。」との処分をしたことが認められる。
しかしながら右不足金事故が原告松坂の過失に基づくものであることは明らかにされていないのであるから、自己の非を認める趣旨の始末書の提出を命ずることは許されず右現金不足事故及び始末書提出拒否を理由とする懲戒処分は無効である。
(4) 原告西村
《証拠省略》によれば、原告西村が桜町支店出納係として勤務中、昭和四一年四月二〇日現金不足金一八、〇〇〇円、同月三〇日現金不足金二〇、〇〇〇円の各事故が発生し、被告の検査により不足金が発見できなかったため、被告は原告西村に始末書の提出を命じ、これを拒否した同人に対し、同年七月一四日、「出納係として最も留意すべき正確保持の取扱いに欠ける。」として、原告松坂に対するのと同様の処分をしたことが認められる。
しかしながら右各不足金事故とも原告西村の過失に基づくことが明らかにされない以上、原告松坂の場合と同様の理由により右懲戒処分は無効であるといわざるを得ない。
(二) 原告横井、同広永の場合
前記認定のとおり昭和三八年七月一日改正施行の出納事務取扱細則の一二条では、「不足金は当該店舗長の意見書及び検査室長の調書により、故意又は重大な過失でないと代表理事が認めたるときは、金庫負担として雑損勘定にて処理する。」と定められていたのであるが、《証拠省略》によれば、昭和四二年一月一日から改正施行の出納事務取扱細則八条に基づく現金等過不足金処理規程四条により、「不足金は原則として当該係員が補填弁償しなければならない。」と改められたことが認められ、前記原告横井、同広永に対する被告からの弁償要求は、右四条に基づいてなされたことが明らかである。しかしながら被告が従業員に対し不利益な労働条件を一方的に課する場合は、それが合理的な理由をもつものでなければ許されないと解すべきであるところ、前記六、2、(一)、(1)のとおり、出納金の違算による不足事故は、出納係、テラー係ではある程度不可避的なものであり、前記の如く被告では従前故意又は重大な過失がない限り金庫が損害を負担すると明記されていたのであるからこれを変更して、原則として不足金を生じさせた当該係員の個人負担とすることは、内容的に合理性を欠き、前記四条は無効であるといわざるを得ない。従って被告は、原告横井、同広永に対し右四条に基づき自己弁償の請求をすることはできなかったのであり、右原告らの不足金事故が故意又は重大な過失によるものであるとの主張、立証もないので、右請求を拒絶したことを理由とする懲戒処分は無効である。
七 原告村田の昇進による地位確認
同原告は、被告の不当差別がなければ、同期入庫者と同様昭和四四年四月二一日、遅くとも同四六年三月三一日までに監督職に昇進したであろうことが明らかであるので、その地位にある旨の確認を求めると主張するが、前記甲第一七号証の二(昭和四四年四月一日施行の「職能等級格付規程」)によれば、この規程で昇進とは、上位職位(店長代理・調査役等職制)への格付をいうとされ、右規程九条で、「昇進……はその職位の要求する職務遂行能力、特にその特性に基づき最も適格と認められる者を選抜して、理事長が決定任命する。」と定められており、右任命を要しない自動昇進の如き規程は設けられていないことが認められる。よって、従業員は理事長の任命がない以上昇進はしないものと解すべきであるから、不当差別を不法行為とし、これにより昇進させられなかったことによる損害の賠償を請求するのはともかく、監督職に昇進していたはずであるということのみをもってその地位の確認を求めることは、その根拠が不明確であり失当である。
八 結論
以上のとおりであるから原告らは別表(一九)の合計欄記載の請求権を有し従って、被告に対する原告岩松、同今城、同森下、同野村、同直江、同福井、同西村、同横井、同久保、同福田、同松坂の各請求はすべて理由があるのでこれを認容し、原告村田の請求は金四、三三四、一二九円、同山下の請求は金一、七五五、三六八円、同近藤の請求は金一、五八五、六二九円、同広永の請求は金二、四七一、五九七円、同日野の請求は金一、二一七、二五六円の支払いを求める限度でいずれも理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないので棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用し、仮執行免脱宣言は適当でないので付さないこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 谷水央 裁判官 斎藤精一 杉山正士)
<以下省略>